気候変動について(4) 二酸化炭素地球温暖化説を利用した人間

二酸化炭素地球温暖化説を利用した人間 アメリカの原発・核開発を推進する権力者の利害を体現して、二酸化炭素地球温暖化説を活用したワインバーグについては「気候変動について(1)」ついて述べた。 一方で気温変化の「ホッケースティック」(2001年)…

気候変動について(3) 二酸化炭素気球温暖化は一つの仮説にすぎない

二酸化炭素気球温暖化は一つの仮説にすぎない。 この仮説の、コンピューターシュミレーションによる「事実」化は同時に気候変動の自然説の抹殺であった。学問的には、人間の二酸化炭素の排出によらない、気候変動とそれを基礎付けしたミラン・サイコビッチ理…

気候変動について(2)  異常気象とはどういうことか、災害とはどういうことか

二酸化炭素地球温暖化を主張する人々は地球温暖化の結果、異常気象によって災害がおきることに危機感を昂じさせている。人類存亡の危機となるとさえ煽っている。二酸化炭素地球温暖化説を唱える学者、エコロジスト、環境NGOの人々は、地球温暖化→異常気象→災…

気候変動について(1) 地球温暖化とマンハッタン計画

ワインバーグは、「マンハッタン計画」に深く関わり、戦後「アトムズフォーピース」の名のもとに原子力潜水艦を開発し、軽水炉原発のさきがけをつくった人間である。1975年ころには「トリウム溶融塩炉」を開発した(2000年代には第四世代原発として開発がな…

斎藤のいわゆる「疎外」論——「マルクスへ帰れ!」4

4 マルクス主義の破壊を許すな マルクスは、この『経済学=哲学草稿』において、従来の「哲学」を止揚し「哲学ならぬ哲学」としての変革の哲学を、実践的唯物論を確立したのである。 マルクスは、「疎外された労働」や「ヘーゲル弁証法ならび哲学一般の批判…

斎藤のいわゆる「疎外」論——マルクス主義の破壊 3

3 マルクス主義の破壊 斎藤は『大洪水の前に―マルクスと惑星の物質代謝』において、マルクスをエコロジー主義者に仕立てあげようとしている。彼は、「マルクスの経済学批判の真の狙いは、エコロジーという視点を入れることなしには、正しく理解することがで…

斎藤のいわゆる「疎外」論 2  2021.05.30 藤川一久

2 エコロジストの無力性 『人新世の「資本論」』前書きより 斎藤は言う。「産業革命以降、人間は石炭や石油などの化石燃料を大量に使用し、膨大な二酸化炭素を排出するようになった。産業革命以前には280ppmであった大気中の二酸化炭素濃度が、ついに2…

斎藤のいわゆる「疎外」論 1  2021.05.30 藤川一久

1 脱炭素社会への狂騒 2020年9月22日、中国・習金平が国連総会で「2060年にCO2排出を実質ゼロ」にする脱炭素目標を表明した。 さらに、同年、アメリカ大統領選で地球温暖化阻止を公約にしていたバイデンが勝利した。早速バイデンは、大統領令を発…

資本主義経済の終焉ーロシア経済制裁の世界経済への跳ね返り

ロシア経済制裁の世界経済への跳ね返り ロシアのウクライナ侵略以降、じわじわと世界経済の打撃が顕になってきた。 石油、天然ガスをロシアからの輸入に依存していた、ドイツ、ノルウエー、オランダ、日本などがその供給を絶たれるだけでなく、石油、天然ガ…

斎藤幸平は、資本主義を肯定しているのか? (2)

斎藤幸平は『大洪水の前に――マルクスと惑星の物質代謝』において、『資本論』第一部第三篇、第八章「労働日」から引用している。 「自分を取り巻く労働者世代の苦悩を否認するためのあんなに「十分な理由」をもっている資本は、その実際の運動において、人類…

斎藤幸平は、資本主義を肯定しているのか?

斎藤幸平は、 「人間を資本蓄積のための道具として扱う資本主義は、自然もまた単なる略奪の対象とみなす」、という。 直接的には資本主義は、①人間を道具として扱う、②自然を略奪の対象とするということを言いたいのであろう。 資本主義VS人間と自然というシ…

2014年の『賃労働と資本』の学習会

『賃労働と資本』の学習会の感想と考えたこと 2014.11.09 マルクスの『賃労働と資本』についての講演の「労働」という言葉のエンゲルスによる「労働力」への書き換えは、この本を解りやすくしているように思います。この違いの意味を理解するのは大変なこと…

労働力商品の自覚

自分の労働力を商品として売らざるを得ない、ということが解ると「搾取」、すなわち資本家がなぜ富を独占し蓄積できるのか、また、合法的に搾取が可能ならしめる賃金制度の欺瞞性についてもわかってきます。――それらのことは今後学習するとして、労働力商品…

『資本論』とともに歩む

皆さんこんにちは。藤川一久です。ブログを開設しました。マルクスの資本論と格闘しながら、現代世界の根本的な矛盾を除去する道を探究しています。革命主体たる プロレタリアートは〈今〉何をなすべきか、問い続けてゆきます。