2014年の『賃労働と資本』の学習会

『賃労働と資本』の学習会の感想と考えたこと               

2014.11.09 

 

  マルクスの『賃労働と資本』についての講演の「労働」という言葉のエンゲルスによる「労働力」への書き換えは、この本を解りやすくしているように思います。この違いの意味を理解するのは大変なことではありますが、この書き換えのおかげで、文章全体の理解を助けていると思います。

 しかし、マルクスは、「労働」という言葉を使用し労働者への幾多の講演を行ってきまた。にもかかわらず、講義を受けた当時の「プロレタリアート」はマルクスの「理論」で自らを武装し、鍛え、自らの解放のために党を創造し闘ったのでしょう。そのような事を思い浮かべながら私はこの本を読んでいます。

 

 さて、マルクスエンゲルスの出会いは、1842年の『ライン新聞』編集部でのことですが「相手を誤解して冷たく別れた」そうです。1844年にエンゲルスがパリのマルクスを訪ねた時以来「共同」の仕事を始めたそうです。その時すでにエンゲルスの「国民経済学批判大綱」はライン新聞に掲載されており、マルクスは「大綱」を読みそれにも刺激されて、経済学の研究を本格的に初めていた時です(経済学・哲学草稿)。他方、エンゲルスは1845年に『イギリスにおける労働者階級の状態』を書いています。『聖家族』「ドイツ・イデオロギー」などの共著も出しており、1846年には二人はブリュッセル共産主義通信委員会を創立します。さらに二人は、1847年に義人同盟に加入。この同盟が共産主義者同盟と改称し、綱領起草を委託され1848年に『共産党宣言』を執筆しました。以来、マルクスエンゲルスは協力してプロレタリアートの自己解放のために生涯を捧げたのです。

 

本文

〈労賃とは何か? それはいかにして決定されるか?〉

 

この章は、数回前の『共産党宣言』の時に勉強した労働力商品(の売買)の復習の意味もあります。しかし、

前回の学習会で論議されなかったことがあります。以下の3点です。

1 労働力の「交換価値」という言葉(正確には労働力商品の価値)

「貨幣で評価された交換価値はその商品の価格」

2 労働力商品を売ることによって、「労働者の生命の活動であり、彼自身の生命の発現」である労働が「生存しうるための一手段」「彼の生活の一犠牲」となってしまう

「彼の活動の(労働の)生産物もまた、彼の活動の目的でない」

 彼の生活は「活動(労働)が終わった時に、食卓で、飲食店の腰掛けで、寝床で、始まる」。その反対に「労働は」、彼の「活動」の儲け口としての意味しかない。(かっこ内は私のとらえ返し)

3 資本家は自分の都合で「労働者を解雇する」

「労働者は自分の生存を断念することなしには、」「資本家階級を見捨てることはできない」

賃労働者は「資本家階級に属する」「その際、・・・この資本家階級において一人の買い手を見出すこと、は彼の仕事である。」

 

2について

共産党宣言』の学習での労働力商品の販売と購買の説明の時は、賃労働者の労働については「機械によって奴僕化」される(死んだ労働に支配される)、とか「下級の産業兵として、下士官や士官の完全な階級組織の監視のもとにおかれる」とか『共産党宣言』の文章に即して学んだのですが、この『賃労働と資本』では、別のことをマルクスは述べています。

私は、初めてこの本を読んだ時は「労働」と「労働力」の違いよりも、労働=働くことが人間の「生命活動」と捉えているマルクスにびっくりしました。この社会で働くことが自分の「生活の一犠牲」ってどういうこと? 逆転しているということ? 働いて受け取る給料で飯を食い、衣服を買う、生活をしてゆくのが当たり前と思っていた私も「転倒」していたのだ、ということを思い出します。働くこと、「労働」「生命活動」とは何かということを先輩労働者に教わって考え、少しずつ分かってきて、働いて賃金をもらって生活資料を購入することが、おかしいということが解ってきました。私の労働が疎外されているということが実感を持って解ってきたのです。そして、自分が労動力商品であるということを自覚したのは、この本を読み終えてからのことです。

 

1について

交換価値と使用価値、(交換)価値と価格などは経済学の基本的なカテゴリーです。少しずつ覚えてゆきましょう。

 

3について

資本(家)と賃労働(者)の関係について。マルクスも言っています。本に従って理解していきましょう