【108】第二次世界大戦について

第二次世界大戦について

 

2026年8月16日(日)放映のTBS『サンデー・ジャポン』に出演した太田光が、「個人的には総理が公式参拝できるのが理想だと思う」と発言した。

さらに、太田は太平洋戦争のA級戦犯についても「A級戦犯だからといって、その人たちが日本でいう『戦犯』という立場にあったわけではない」、なぜなら、「東京裁判というのは勝者の裁いた裁判であるから、戦勝国と敗戦国との非対称な扱いがある」とし、「A級戦犯ってされている人たちだけが戦争の加害者なのかというと、原爆を落とした側も戦争犯罪だと個人的には思っている」などと、驚くべき発言を行った。

確かに、A級戦犯も原爆投下した連中も戦争犯罪者であることはいうまでもない。しかし、太田は不勉強にもほどがある。「個人的には総理が公式参拝できるのが理想だと思う」という全く許しがたいでたらめな見解をほざいたということに怒りを禁じえない。

そういう意味において、第二次世界大戦とはいったいいかなる戦争であったのかを振り返ったて見ることも必要である。

 

世界史的にみて、第二次世界大戦の結節点をなすのは、第一次帝国主義戦争の勃発とロシア革命の実現そしてソ連邦の成立(1922年)であろう。なぜなら、ロシア革命以降の全世界の植民地支配を行っている帝国主義諸国は、こぞって政治的・経済的・軍事的に自国内において労働者・農民による(植民地解放)革命への対応を余儀なくされたのだからである。

そのようななか、1929年恐慌が勃発したのである。各国帝国主義はその経済的基礎が揺らいだのである。さらに、「血の粛清」に覆われたスターリンのソ連邦の「嵐のような発展」への政治的・軍事的対抗をも余儀なくされたのである。 

帝国主義諸国陣営では、一方で「西欧の没落」化とファシズムが台頭しその対立が激化する。他方、独伊の侵略に対抗するため、ソ連邦と「民主主義的帝国主義」との軍事同盟を締結し、自陣営の危機をソ連邦の助けをかりて、帝国主義的分割戦によって突破しようとしたのである。

日本もまた、例外ではありえない。1929年大恐慌に連動して昭和恐慌が勃発。さらに、十五年戦争の発端となった満州事変(1931年)を引き起こし、1933年の議会選挙をつうじての成立したナチス・ドイツやムッソリーニのイタリアと「日独伊防共協定」を締結し、中国大陸において侵略戦争をつづけた(日支事変1937年)。他方、国内において、治安維持法にもとづく言論弾圧と左翼諸党(自由主義者、社会主義者、共産主義者)を壊滅させ「近衛新体制」(いわゆる四十年体制)を確立し、東アジア、西太平洋地域の帝国主義的再分割戦へ、民主的帝国主義による日本への石油輸出禁止を大義名分にした大東亜戦争へと突入していった(1941年)。

 

ここで、1940年10月12日の「大政翼賛会発会式」の近衛文麿の声明を紹介するのも無駄ではない。

大東亜の新秩序を確立するとともに、進んで世界秩序の建設に邁進致さねばならない時が参りました。わが大政翼賛の運動こそは、古き自由放任の姿を捨てて、新しき国家奉仕の態勢をととのえんとするものであります。」(近衛文麿、)

ここにいう「大東亜の新秩序」とは、「現人神(あらひとかみ)天皇を崇め奉るところの「すめらみくに日本」による「八紘為宇(はっこういう)」を東アジアに打ち立てる、という大事業のことである。

 

そして、第二次世界大戦は、民主主義的帝国主義とスターリンのソ連邦の勝利として終結。それは、政治的には、ナチズム、ファシズム、そして「現人神(あらひとかみ)天皇を崇め奉るところの「すめらみくに日本」による八紘為宇」の敗北である。

 

問題なのは、戦勝国である民主主義的帝国主義やソ連邦による敗戦国たる独・伊・日の植民地侵略戦争遂行者への「裁き」ではない。

ナチズム、ファシズムについは、論をまたない。日本国権力者の日本国内における、言論弾圧・思想弾圧・宗教弾圧の、さらには東アジア、西太平洋地域の植民地争奪戦で犯した犯罪こそが問題なのである。

 

「英霊」などと称するものに対する追悼というものは、すぐれて「現人神(あらひとかみ)天皇を崇め奉るところの「すめらみくに日本」を尊ぶという宗教、歴史観に由来するものなのである。すぐれて宗教的行為なのである。

わたしたちは、そうではなく皇国日本の国家権力者によって犠牲になった宗教者、民主主義者、自由主義者、社会主義、共産主義者や名もない多くの労働者、学生、そしてアジア諸国の人々をこそ追悼するべきなのである。

 

 2026.08.19

 

 

【107】天草灘でマグニチュード3.3の地震発生!! 川内原発即時稼働停止!!

天草灘でマグニチュード3.3の地震発生!! 川内原発即時稼働停止!!

 

816日午後925分ごろ、鹿児島県・長島町で最大震度1を観測する地震があった。

震源地は天草灘で、震源の深さはおよそ10km、地震の規模を示すマグニチュードは3.3

地震の規模は大きくないものの、天草灘は日奈久断層帯の南西すぐ先である。「令和8年熊本地震」による影響を否定できない。また、1997年には出水断層でマグニチュード6.66.4の地震が発生している。

私は、一刻も早く川内原発の稼働を停止し廃炉にすべきである、と訴える。

 

  下図の青の✕印が震源地

 

 

【106】梯明秀の「実践的直観の立場」―4 『資本論』における端緒的商品と始元的商品

 梯明秀の「実践的直観の立場」

 

 4 『資本論』における端緒的商品と始元的商品

 

 イ 単純商品について

 

 スターリニストの多くが冒頭商品を「単純商品」であると解釈している。例えば、長谷部文雄らのように単純素朴に、冒頭商品は単純商品である、という。それを、マルクスの『剰余価値学説』第三巻の叙述「われわれは、まず資本制生産の基礎であり前提である商品――生産物の特殊なるこの社会形態――から出発する」という記述に依拠して。

 梯的に表現すると、単なる「悟性主義的いじくりまわし」以外の何物でもない。長谷部は自らが依拠するマルクスの上記記述のその背後にあるマルクス弁証法を切断しているといわざるをえない。

 梯もまた、商品は資本制商品であると述べてはいる。しかし、単純商品について微妙な叙述もあるのである。

  「上向と下向、前進と後退の矛盾的同一性としての円環運動をば、マルクスは自覚していたかぎりで、資本論の叙述が全体として上向的前進でありえたのであるが、そのゆえに、叙述の紙背にも下向的後退の論理を見抜くだけの思弁力を、読者には要請されている」とし、「『資本論』としての体系的叙述の上向の途は、「下向の旅」としての研究過程を前提していたのであり、この下向と上向との二つの途が円環として連絡するところに、『資本論』を書いたマルクスの概念的思惟の必然性があった。」「対象と意識との外的対立という学の基本的構造に関するかぎり……『資本論』の上向的叙述の成立するエレメントとしての、単純商品にまで分析的に下向する研究過程に(経験的感覚的意識から出発して『論理学』の成立するエレメントにまで到達する過程)照応する。」とさえいうのである。

 このように梯は、「上向と下向、前進と後退の矛盾的同一性としての円環運動」において単純商品をとらえようとする。しかし、「下向の旅」をヘーゲルの「精神現象学」を適用しつつ、単純商品を[論理学という資本論]の始元的商品であるかのように論じるのである。

 しかし、これは、「資本制経済の富の原基形態としての始元的商品(労働力商品をも含む資本制商品)への下向的分析の場所的・過程的な構造と、これがそれ自体下向性の体系をなす古典派経済学の批判的摂取といかに統一されているかの問題」として批判的に受け継いで明らかにするべきである、

 マルクスは、あくまで資本主義経済の法則的解明を目指しているのであり、分析下向の終局は「富の原基形態」としての「資本制商品」である。決して単純商品生産にまで下向してはいないのである。しかし、「この始元的商品の論理的に抽象的な諸規定(いわゆる端初的商品としての論理的商品)が、まさにその抽象性のゆえに歴史上の単純商品にも妥当する」のだ、ということ。「さらに論理的なもの(端初的商品)と歴史的なもの(単純商品)とのいわゆる「照応」関係もまた認識論的に論じなければならない。

 

 ロ 第一編第一章第一節、二節と第三節について

 

 梯は、「資本論』冒頭の「商品」の第一節二節から「第三節に読みうつ」るには「弁証法的思惟を遙かにより鋭くして」ゆかねばならない、という。

 

 以下に梯の主張をまとめる。

 

 「相互に独立的な生産物、LとRとは、表現的一般者としての無規定な流動的人間労働力を媒介とすることによって、相互に商品として限定しあう。これが商品の発生の論理であり自己発展の論理である。マルクスが『価値形態の理解をさまたげる一切の困難の枢軸』とよんだものが、この商品相互間の反省論理である。すなわち『商品の対立的二規定、使用価値と交換価値とは、第三節では、前二節とことなり、分離するかわりに反省しあう』と第一版同一パラグラフで明言している」。

 「第一節、二節に商品の二重形態、あるいは二者闘争的性格という言葉を先行的にみるが、要するに商品における二重性の矛盾統一ということは、商品相互の実在的反省論理を前提してはじめていえることでなければならない。」(同上)

「われわれ認識者も、第一、第二節の端緒的商品に対する外的反省の科学者としてのわれわれの立場から、かかる矛盾的同一ゆえの自己運動を観察する哲学者の立場に立つことが要請される。」

 「商品の自己運動がマルクスによって使用価値と交換価値との矛盾にはじまるとされるかぎり、商品と商品の関係から資本論の叙述がはじまっていなければならず、・・・商品と商品との関係の論理が資本論によってしか理解しえない」(「ヘーゲル適用のマルクス的限界」)と読者に弁証法的思惟の必要性を力説する。

 第一、第二節にあっては外的反省の立場において価値の実体を自然的思惟によって分析しているのであり、これにたいし第三節にあってはヘーゲルの規定的反省の唯物論化した立場において価値の実体を弁証法的に自己分析するのである。そしてこの後者が学問的な思惟方法なのである。」「第三節は方法論的に第一、第二節を前提するという論理的必然性があるのである」また、前者すなわち外的立場における自然的思惟とは悟性的認識である。

 

 梯は、第一節、二節と第三節を明確に区別している。

 「第一節、二節にあっては、外的反省の立場において価値の実体を自然的思惟によって(の)分析」であり、悟性的認識である。それは、「最初の途」であり、「商品の下向分析」である。

 「第三節」は、「価値の実体を弁証法的に自己分析しており」「学問的な思惟方法で」あり「後方の旅」である。それは「始元的商品の学的上向展開」である。

 「商品の対立的二規定、使用価値と交換価値とは、第三節では、前二節とは異なり、分離するかわりに反省しあう」という「商品の発生の論理であり、自己発展の論理」としての「商品相互の実在的反省論理」である。

 そして、第一、第二節の使用価値と交換価値の「二者闘争的性格」は「商品相互の実在的反省論理」を前提しているのであり、第三節は、方法論的に第一、第二節を前提にしているのである、と捉えている。

 (梯は、xL=yRについて詳しく考察しているが、ここでは触れない)

 たしかに梯は『資本論』の始元的商品の叙述に関して重要なことを述べている。しかし、われわれは彼の主張する「科学」、「哲学」が従来のそれらであるということに注意する必要がある。それはさておき、第一節、二節は悟性的認識の「科学」であり第三節は弁証法的分析であり「哲学」であると峻別し、そのうえで第三節は第一、第二節を前提にしている、と単純かつ平板に捉えているのである。

 

 残念ながら、われわれは、梯のように単純に非弁証法的にとらえるわけにはゆかない。認識=思惟活動にもとづく下向分析をつうじて明らかにされた〈始元的商品〉からの上向的叙述そのものの内部に直接的に「外的反省の立場」「商品の下向分析」を持ち込むわけにはいかない。「上向展開の内部における下向分析」として考えるべきである。第一節二節で論じている「商品」は、内的な本質矛盾を持ったものとして抽象されているのである。実際、交換関係のない「商品」などあり得ないのである。

 

 黒田は第一節、二節と第三節を「体系的叙述方法そのものの円環構造」としてとらえている。長くなるが、黒田寛一著『宇野経済学方法論批判』から引用する。

「そもそも商品それ自体の論理的分析でさえもが、二つの商品がとりむすぶ価値関係を前提としたそれである。体系的叙述の観点からするならば、さしあたりまず、この商品の論理的分析(『資本論』第一巻第一篇第一章第一節)は、「価値形態あるいは交換価値」(第一章第三節)を措定する前提、つまり出発点をなしているが、しかし同時に前者(第一節)は後者(第三節)によって前提的に措定されているのである。価値関係をとりむすんでいない一個の商品などはあり得ない。始元的商品が「ブルジョア的富の原基形態」として措定されているゆえんである。まさにかかるものとして措定されているからこそ、「商品の二要因」の論理的分析が可能なのであり、その場合、「x商品A=y商品B」という価値関係が前提とされているのである。だからこそ、そこでは、価値形態の両極の物質的反省関係として外的に現象するところの商品そのものの内的な本質的矛盾が分析把握されうるのであり、(使用価値と価値との直接的統一をなす、あるいは価値と直接的に統一された使用価値としての商品の)この内的矛盾およびその実体がつかみとられること(第一節)によってはじめて、価値形態の物質的反省論理(第三節)も解明されうるのである。第一章の「商品」論だけとってみた場合でも、その第一節から第三節への叙述の進展の裏側には、同時に第三節から第一節へのまき返しの過程が秘められているのであり、かかるものとして存在論的な上向的叙述過程はラセン運動をなして展開されるのである。端初において抽象的に措定された前提的なものは、叙述の論理的進展を媒介として具体的なものとして措定され、そうすることによって端初の抽象性は媒介的に止揚されてゆくのである。たとえば抽象的人間労働は、商品交換関係や社会的生産過程において日々おこなわれている現実的抽象であることを前提的な物質的基礎として、商品価値の実体として措定される(そのかぎりでそれは「抽象的」ではある)のであり、そしてこれは価値形態の発展を媒介として、論理的には「具体的」に措定されてゆくと同時に、現実的交換関係の現象面においてはむしろかかる実体的根拠は「不明確」ならしめられるものとして上向的に展開されてゆく。こうした円環運動を通じて、「形態規定のうちに内容規定もまた確立されうる」わけである。(このような体系的叙述の円環構造は、第一章と第二章、第一篇と第二篇、第二篇と第三篇……などについてもいいうる。)

 

 

最後に

 

 わたしは、梯明秀の「実践的直観の立場」について学んできたのであるが、彼の論文における「論理的なもの」と「歴史的なもの」との統一的把握および概念的把握における抽象のレベルについての彼の理解に対する疑問や問題性などについては省略した。

 

 梯においては、あくまで『資本論』をどのように理解するのか、ということに関して「実践的直観の立場」が提起されている。しかし、梯は彼の『資本論』研究において、その研究の拠点である「実践的直観の立場」を貫徹しえなかったということ、また彼の「科学すること」「哲学すること」は従来の「科学」「哲学」である、ということ。マルクス主義における哲学=従来の哲学を止揚した「哲学ならぬ哲学」ではない、ということも併せて指摘してゆくことも大切である。

 対象的にして非対称的な人間存在であるところの実践する人間による「変革の哲学」、これがマルクス主義における哲学なのである。そして黒田は、梯によって解明された「実践的直観の立場」を批判的に受け継ぎ《実践的立場》ないし《場所的立場》を確立したのである。

     了

   2026.08.08

【105】梯明秀の「実践的直観の立場」― 3 プロレタリアの階級的自覚について

梯明秀の「実践的直観の立場」

 

 3 プロレタリアの階級的自覚について

 

 梯の明らかにした「実践的直観の立場」について見てきたように、梯の「資本論を論理学として読む」という一貫した姿勢を、われわれは主体的に受け止めなければならないであろう。そしてそれは「社会科学としての経済学」(宇野弘蔵)と本質的に異なる「哲学」であることも確認できる。

 この「実践的直観の立場」を明らかにする場合、梯は、「資本論叙述の裏に潜む論理構造」、「資本論の背景的論理のさらに底にある歴史的現実(として)の実在的(な)弁証法的運動」ということを述べている。さらに「資本論叙述の背景」に「自発自展的な思惟の内的必然性」すなわち「思惟の必然的な運動」があるのだという。つまり、『資本論』は資本制商品経済の普遍的法則性をマルクスが、明らかにしたものであるのだが、同時にマルクスが叙述したこの『資本論』にはマルクスの実践的立場や認識=思惟活動、および実践的唯物論が同時に対象化されている、ということである。

 だが、そような「二つの円環構造」をなしている『資本論』、それを、プロレタリアートがいかに主体化するのかは明確に解明されてはいない。

 

 とはいえ、このような「実践的直観の立場」に立って、さらに梯は極めて重要なことを述べている。いわゆる、プロレタリア的主体性論とでもいうようなことがらである。

『資本論』の始元はなぜに「商品」であるのか、すなわち資本制経済の普遍的法則の本質論的解明が「商品」から始めなければならないのかという追及に関して、梯は以下のように叙述している。

 

 「資本論をかくのごとく現実的な学たらしめるところのエレメントは何であろうか。・・・」

 「端緒的商品」は「エレメントではなくしてエレメンタール・フォルムである。資本の最も抽象的なカテゴリーとして商品はそれ以上に分析のできない対象的形態であるという点で、これに外的に対立するわれわれの自然的意識は、ただこれを資本の要素形態として受けとるほかない」。

 「このいみで経験的科学としては端緒でありえても、それがただちに現実的な学としての資本論としての始元になることをいみしえない。」

 「ただ、流動的な人間的労働力が、端緒的商品に自己否定的に対象化されて、自己と区別されているという事態、この区別の止揚において再び自己同一性を回復せざるをえないという事態のうちに、端緒的商品は自己否定的な自己運動をはじめざるをえない。」

 「(この人間労働の弁証法的な自己運動※)そこには、直接的に感性的な人間の生きた労働が、その労働力を商品化することによって、全面的に人間性を喪失する事態をみる。この人間性の奪還のためには賃労働者は、自己のこの否定を媒介して自己にかえるという絶対否定の立場に立つほかはないのであるが、かかる歴史的自覚をもつ賃労働者の精神こそは、端緒的商品の自己運動を学的に観察しうる哲学的な自己でなければならない。これは、端緒的商品を研究対象とする自然意識にあるわれわれの立場が、賃労働者の立場に自己転化することによって成立する歴史的なわれわれの立場である。」「そこでは……資本主義社会をつらぬく端緒的商品の自発自展的な論理過程を学的に観察することができるのである。」

 「かくて、ここに資本論が学として成立するとすれば、この成立のためのエレメントは端緒的商品でなくして、その否定の否定として絶対否定性にある流動的にして無規定な人間労働力でなければならない。そして、これが同時に資本論における始元であるわけである。

 

 そして梯は、マルクスが「商品の分析から始める」とした始元的商品について、資本家的「富の原基的形態」が「感性的なもの」である、ということについて分析している(『ヘーゲル哲学と資本論』)。

 そこでは、「われわれは、働くことによって、貨幣を俸給なり賃銀として先ず手に入れることをせねばならぬ。要するに、大衆の欲望を満足さすべき社会的な一切の有用物は、商品として、貨幣を媒介にしないでは大衆に接近してこないものであり、したがって、かかる諸商品の集積としての富は、大衆には疎遠なもの、大衆にとって疎外された物であるということは、誰しも各自の体験で、熟知している事柄である。」「この疎外の形態」である「商品という感性的な物としてわれわれに対立する」。これこそ「かかる日常的体験を基礎にして、各自の人生観を直接的に自覚し、資本制社会の変革の「実践の原理」として「心に秘めている」。「常識の世界を超え」、われわれが実存する「資本制社会の科学的分析を媒介にして」「客観的な世界観(実践的唯物論)による実践によって社会環境を変革せしめんとしたのが、マルクスの実践的、のみならず理論的立場であり、『資本論』の学問的な本来の意味であった。」

 まさに、賃労働者の物化された形態として意義を持つ始元的商品(労働力商品をも含む資本制商品)の自己展開の体系としての「現実的な学」の円環運動とプロレタリアの否定的立場を対象認識の端緒とし、かつ終局とする円環運動、この「二つの円環運動」の統一として『資本論』は叙述されているのである、と梯はいうのだ。この後者こそ、直接的な対象認識を出発点とし、「現実的な学」の構成とその主体化を媒介として現実的出発点に環帰し、かつこれを止揚するという、プロレタリア的実践=認識主体の対象的認識と主体的自覚に関するものなのである。

 かかるプロレタリアの歴史的自覚こそは、自己が生産したところの、商品から貨幣へ、さらに、この貨幣の資本への転化、資本の自己展開の各段階において歴史的自覚を一歩一歩深めてゆくことになる。そして、賃労働者が商品として、資本として非人間的に対象化された自己に否定的に対立するとき賃労働者の直観は歴史的自覚へ発展するのである。まさに、『資本論』冒頭の商品こそは、われわれプロレタリアートの階級的自覚の端緒なのであるのだ。

 

 ※梯は、『資本論』第二編第四章をよく読むようにと示唆している。わたしは、この梯の深い内容を受け止めわがものにしなければならない。

 彼によれば、「現実的論理学としての資本論が、その第一篇において定立したものが価値法則であった」のであるが、「第二編は第一篇と第三篇以下をむすぶ結節であるのみならず、資本論の論理構造の枢軸である」という。そして、「資本論における弁証法的方法論がこの枢軸を中心として自己運動する以上は、その始元の問題もここにひそむ」のだというのである。

 「第二編に始元の弁証法をみるかぎりにおいて、資本論にこの論理構造(筆者注;主体性の論理)をみることができる」。なぜなら「第二編における労働市場に始元する賃労働者の歴史的自覚は、第一編の価値法則の必然性の否定的止揚として、生産過程において対象的資本を実体として把握し、この実体としての資本の必然性の思惟を第三篇以下に分析することによって、疎外された人間性の奪還の自由を自覚する。このことは、根源的蓄積の歴史科学的認識によって、資本を人類歴史の過程においてもともと否定さるべき仮象として、すなわち、消滅すべき歴史的に実在的な被定立有として自己反省することである。そして、この反省のかえりゆく根拠は人類歴史の永遠のエレメントとしての流動的人間労働力であって、これは、ふたたび第二編の賃労働者の歴史的自覚の出発点である」という。まさに主体性の論理である。このように「資本論冒頭のパラグラフは、資本論が論理学として読まるべきことを要請すべき始元の問題をひそませている」のである。

 これは、『資本論』冒頭商品はいかにして「始元」足りうるかということに即して彼の明らかにした、プロレタリアの主体性の確立である、と主体的に受け止め、わがものとしなければならないであろう。

  2026.08.06

4 『資本論』における端緒的商品と始元的商品 に続く

【104】梯明秀の「実践的直観の立場」

梯明秀の「実践的直観の立場」

 

はじめに

 

 戦前の学問的追求において梯は、資本制生産様式のもとにおけるプロレタリア的人間の場所的論理の確立をめざしていた。しかし、残念ながら「場所的論理の唯物論的確立には成功して」いなかった。西田の「絶対無の場所」の原理的転倒はヘーゲル主義的傾向をまぬがれてはいなかった。戦後において、場所的論理の唯物論的確立のための拠点を「実践的直観の立場」として確立した。われわれは、梯が、『資本論』の主体的研究に関して打ち立てられたこの「実践的直観の立場」をわがものとし、『資本論』の研究のみならず、労働力の商品化という人間の資本制的自己疎外を変革しうる実践的立場を確固なものとしてゆかねばならない。そのような問題意識をもちつつ私は、梯がうちたてた「実践的直観の立場」を学んでゆきたい。

 

1 私は、梯明秀の実践的直観の立場を学ぶには彼の『戦後精神の探求―告白の書』を今一度想起しなければならない。

 

 「私の父は、ハリストス正教会の伝道者、司祭として、八七歳までの苦難の生涯をつうじて父自身の聖職を全うしたのであり、母も七六歳の高齢まで 父とともに清貧に甘んじてきた。本書に何ほどか示されている私の学的精進の貫徹を、大きく心から包み励ましてくれたものは、やはり両親の右に出るものはなかったと自省するほかない」、と両親への心からの感謝の言葉を残している。

 そして、背骨をへし折られ挫折し転向声明書を書いた自分への愛を示した父について、「私の父はハリストス正教会の伝道者として、青壮年を通じてわたし以上の迫害と侮辱とに耐えてきた人間である。そして伏見警察署に面会に来て、暗に激励して数分間にして立ち去った人間である」(『戦後精神の探求』)、と梯は父親への畏敬とともに彼の愛の深さを語っている。

 梯は、二度にわたる「治安維持法違反」で特高に逮捕され拷問を受けている。一度目は1930年で、「ヒューマニスト」と自認していた梯はこの逮捕・拷問がマルクス主義哲学を真正面から取り組む契機となったという。二回目のそれは1938年のことである。真下真一、久能収、武谷三男、新村猛らが発行した雑誌『世界文化』事件に連座して逮捕された(「京都人民戦線事件」)。さすがに梯は、屈服し転向を余儀なくされ、転向声明書を書いた。

 戦後この転向という挫折は、梯をして「歴史的衝動」を全く喪失した状態へと陥れた。彼はそのような自己を「敗戦後の日本の新時局になげこまれた時の虚脱状態」と規定し、その虚脱状態をのりこえんとし、「ハイデッカーの超越的自己」「ヤスパースの実存の論理」「キェルケゴールの逆説的苦悩」などとの実存的対決を通して自己自身の「精神のこの病」を克服してきた。梯は、まさにおのれ自身を問い続け、「歴史的衝動」を「外部知覚」=「内部知覚」しうる主体たらんと苦闘してきたのである。

 この戦時中の痛苦な転向体験を踏まえた・実存的内省を経て梯は、「絶対有の立場」の限界を克服する拠点である「実践的直観の立場」を確立してきたのである。

 

2 「実践的直観の立場」

 

 梯は、科学にして同時に哲学であるという学問的構造を持つのが「現実的な学としての資本論」である、という。つまり、『資本論』においてマルクスによって対象化され展開されているところのものの根底に、それを対象化したマルクスの実存そのものの論理があるのだ、ととらえ、『資本論』は「現実的な学」なのであるという。そして、その拠点を「実践的直観の立場」として確立した(『資本論の学問的構造』「現実的な学としての資本論」1948・10・10)のである。

 

 では、「実践的直観の立場」とはどのようなものなのか。

 

 「資本論においては個々の科学的な相対的真理すなわち経済学的な諸法則を現存せしめてはいる。しかし、その学的体系の要請に応えてわれわれがこれらの諸法則の統一的な把握のために、その原理的根拠にまで反省的に掘り下げんとするとき、われわれはその底に動かすべからざる絶対の真理に撞き当る。現存的なものがその根拠へ反省することを実存というならば、資本論叙述の裏に潜む論理構造を実存的に自覚するとき、単なる資本主義社会の法則的解明(だけにとどまるの)ではなく、資本主義に現に生きるわれわれが、この認識対象としての資本主義社会をば変革の対象に転化せしむるところの当為を直観する(はずである)。イデアを実在の内に直観するというこの自己矛盾をば、かえって歴史的現実そのものの弁証法と考うべきだとして、わたしはこれを実践的直観の立場とよんでいる」。…………

 同時に、この「実践に駆りたてる当為の衝動は」「歴史を現実に決定するところの絶対的な真理のこと」であり「世界観とよばれているもの」である。

 

 「資本論を論理学として読むということは、その叙述を規定しているところのかかる背景的な学問的構造を問題にせんとするのであって、叙述に現存する経済学的諸範疇の悟性的ないじくり(本文では傍点)ではない。・・・・・この実践的直観の立場は、資本論の背景的論理のさらに底にある歴史的現実(として)の実在的(な)弁証法的運動(と一つになること)をいみする。この運動の人間意識へのロゴス的自己限定の過程と成果との全体が生きた真理」であり、「この自発自展的な思惟の内的な必然性」すなわち「思惟の必然的な運動」を「資本論叙述の背景に辿ること」なのである。

 以上、『資本論の学問的構造』「序文」より

 

 梯はまず、『資本論』は「科学的な相対的真理である経済学的な諸法則」の学的体系であると捉える。次に彼は、『資本論』を論理学として読むこと、つまり資本論の背景的論理のみならず、その底にある思惟の必然的運動を辿ることを主張する。あるいは、原理的根拠にまで反省的にほりさげる。こうして最後に、認識対象である資本主義社会を変革しなくてはならないという「実践にかりたてる当為」を直観することが目指されなくてはならない。

 ここで重要なことは、『資本論』を単に「経済学(科学)」として「経済学的諸法則」の可否を解釈したりすることに満足してはならない。あるいは、『資本論』の叙述に関する「経済学的諸範疇の悟性的ないじくり」に堕してはならない。マルクスが明らかにした資本主義経済の法則的解明を正しく理解するためには、『資本論』の叙述の背後にあるマルクスの変革的立場およびマルクスの認識=思惟をおのれの内によみがえらせつかみとること、次いで、マルクスの「変革の意志」および実践的唯物論を自覚することである、ということである。

 そして、それを可能とする拠点が「実践的直観の立場」なのである。

 

 梯は、さらに述べている。

 

 「科学的知識のみでは人格的自己を成立せしめえない。真摯に謙虚に考えることによってのみ、科学も身につき、如何に生くべきかに決意することができる。哲学は、かく科学を人生に、実践に媒介するものである。資本論は、マルクスが資本主義社会の自己矛盾的直観にあって、歴史的生命、いな宇宙的生命を、自己の身体に漲らして、その人類社会にたいする責任と憤怒との実存的徹底において、その充実したエネルギーをもつて創造しえた一つの歴史的行為である。とすれば我ら如何に生きうるかの一つの範型であろう。資本論は論理学として読むいま一つの奥において、倫理学としても読まれねばならないのである。」

 「資本論における分析の出発点は、現実の個々の商品である。それは、現にわれわれが、そこに生活している現在の資本主義社会の要素的形態としての諸商品である。しかもこの分析の出発点が、この商品を自由に占有しうる人間の直観ではなく、占有せんがためには働かなければならない人間の直観なのである。」 「商品をその有用性のままに直接に消費することを、否定されている人間にとっては、個々の商品は、その膨大な集積そのままが資本家の富として現れる。・・・・・このことは、分析的思惟の出発点としての個々の商品の直観において、すでに即自的に全体の自己矛盾が含まれていたことをいみする。個々の商品にたいする自己矛盾的直観は、同時に資本主義社会全体にたいする自己否定的直観なのである。」

(『資本論の学問的構造』「哲学と社会科学」「五 資本論における哲学と科学の一致」1950・1・15)

 

 梯は、『資本論』を読む人は、「人類社会にたいする責任と憤怒」に燃え「我ら如何に生きうるのか」というマルクス的実存の倫理的自覚をしなければならないともいう。『資本論』とは、単なる「科学的知識」を得るための理論などではないのだから。

 それだけではない。

 梯は、「個々の商品にたいする自己矛盾的直観」「資本主義社会全体に対する自己矛盾的直観」をなしうる主体こそまさに賃労働者である、と断言する。したがって『資本論』を理解するためには「賃労働者の立場」に立つ以外にない、とその「実践的直観の立場」を具体化しているのである。あたかも、梅本克己のいう「革命の必然性」を「主体的自覚」=「実践への決意」への飛躍を論じたように。

 

 2024.08.05

「3 プロレタリアの階級的自覚について」に続く

【103】「令和8年熊本地震」発生! 一刻も早く川内原発を停止せよ!!

「令和8年熊本地震」発生! 一刻も早く川内原発を停止せよ!!

 

 2026年7月28日午後4時27分ごろ、九州熊本県で大地震が起きた。

 気象庁の発表によると、地震の規模は気象庁マグニチュード7.1震源の深さは16kmで、熊本県の宇城市と八代郡氷川町最大震度7を観測した 観測最大加速度1667.4ガルである。

 今回の地震は、10年前に発生した熊本地震の際に動いた日奈久断層帯の南側の「割れ残り」で発生した、と地震学者は発言している。そして日奈久断層帯は30Km以上にわたって、最大2m程度ずれた。

 

 

 この「令和8年熊本地震」による被害がマスコミで続々と報道されているが、これには触れない。

 玄海原発4号機、川内原発1、2号機は異常ないと、九州電力は発表しているが、今後の余震などを考えるとき、川内原発は停止すべきである。

 添付した下図を見ると、青印の川内原発近くの断層が日奈久断層帯のすぐ南にあることがわかる。

 そもそも、九州には東西に走る九州北部と九州中部と九州南部を分ける断層帯があり、それぞれ北部、中部、南部で東西に別々に地盤が動いているのである(地図上の点線部分を境界として)。その地盤のずれ圧力が根本原因で地震が発生しているのである。今回の日奈久断層帯こそは九州中部と南部の地盤の軋みによる活断層地震であり、震源がさらに南下することを否定できないのである。

 

 

 私は声を大にして訴える。

 川内原発を即時停止し、廃炉にすべきである。

 

 2026.07.30

 

【102】関西電力・美浜原発3号機、再び蒸気漏れ

関西電力・美浜原発3号機、再び蒸気漏れ

 ――老朽原発再稼働反対!! 運転延長反対!!

 

 2026年5月8日美浜原発3号機の高圧タービンキャップから蒸気漏れが発生し、原子炉を手動停止した。関西電力はこの蒸気漏れの「原因調査結果」を同年6月19日発表した。

 このキャップの縦約1センチ、横約8センチにわたって亀裂が入っていた。さらに、同「原因調査結果」によれば20ミリほどあるキャップの厚みが、わずか1ミリにまで減っていた部分があった、という。

 呆れてしまうような関西電力の「安全管理」の現実だ。

 

 

〇印 高圧タービン部キャップに亀裂

美浜原発3号機高圧タービンキャップの亀裂

 加圧水型(PWR)の原子炉は、そのアキレス腱ともいわれている蒸気発生器では肉厚の薄い伝熱管がしばしば穴が開いたり破裂したりして放射性物質を含んだ1次系蒸気が2次系に漏れ出て環境中に放出したりした。

今回の事故は、放射性物質は環境中に漏れておらず、「二次系だから軽微」だなどいえない。

 なぜなら、2次系配管破断は蒸気発生器の除熱機能に即直結するのであり、格納容器内の原子炉圧力容器の冷却、圧力の制御に失敗し炉心溶融にまで至る事故に発展しかねないのだ。

 さらにこの2次系水蒸気漏れという事故は、22年前(2004年8月9日)に死亡5人、重傷6人の犠牲者を出した重大事故を引き起こしたことを彷彿させる。

 2次系復水配管系であるとはいえ、同じタービン建屋内にある2次系蒸気―タービン―冷却水系配管なのである。

2004年の減肉による蒸気漏れ

 問題は、関西電力が2次系配管系の減肉・劣化に対する22年前の教訓をなんら生かしていない、ということが直接的に問われる。しかし同時に、今回の事故は、この老朽原発である美浜原発3号機は50年もの時間を経て20ミリのキャップが1ミリ以下にまで減肉し亀裂した、ということを私たちに突きつけているのである。このことは、関西電力が点検を見落とした、いうこと以上の問題である。

 すべての機械、装置の経年劣化は必然である。原発も例外ではない。経年劣化した配管系のすべてを日々網羅して点検することなど不可能である。いつ配管の減肉・劣化が複数にわたって露見しないともいえないのである。

 

 原発・核燃料サイクル反対!!

 日本の原発・核開発を阻止しよう!!

 

  2026.06.24