斎藤のいわゆる「疎外」論——マルクス主義の破壊 3

3 マルクス主義の破壊

 斎藤は『大洪水の前に―マルクスと惑星の物質代謝』において、マルクスエコロジー主義者に仕立てあげようとしている。彼は、「マルクスの経済学批判の真の狙いは、エコロジーという視点を入れることなしには、正しく理解することができない」と断定するのである。(傍点はママ)

 そのように主張する斎藤は、「『人間主義自然主義』という1844年の「理念」のうちには、マルクスが生涯にわたって放棄することがなかった根本的問題構制が潜んでいる」ことを『経済学=哲学草稿』において論証=解釈しようと試みている。

 『経済学=哲学草稿』を、哲学上の「人間主義自然主義」(理念)と経済学分析における「近代社会の歴史的特殊性の1844年の洞察」としてを意義あるものと押し出すのである。

 斎藤は、マルクスの「疎外論」に対する「先行研究」における「哲学的論争」の限界を指摘し、『経済学=哲学草稿』における「人間主義自然主義」という「理念」と「地代」分析における「洞察」を指摘し、マルクスは、「人間と自然の関係の歪みと矯正を疎外論にとっての中心テーマとして扱っていた」と結論する。こうして斎藤は、マルクスの「疎外された労働」―労働論の確立―を、エコロジカルな観点からの「人間と自然の本源的統一の解体の問題」へとずらしてゆくのである。曰く、人間による「自然の疎外」こそ「資本主義の疎外」である、と。

 次いで、斎藤は、斎藤自身が、投射的に読み込んだ、従って無規定な人間と自然の関係(統一、亀裂)に関するマルクスの文章を拾い集め「理論の連続性」を論証する。そして、「理念」=哲学からマルクスが別れたあとでも「人間主義自然主義」においてみられた「人間と自然の統一」という「洞察」を堅持していた、と結論づける。そしてこの「人間と自然の統一」という洞察は、マルクスにおいて「物質代謝」カテゴリーで資本主義を捉るかたちで生かされている、という。 このように主張する斎藤は、この書の第一部「経済学批判とエコロジー 第一章労働の疎外から自然の疎外へ」において、マルクスの「疎外された労働」の核心を否定し実践的唯物論を破壊している。

 私は、『経済学=哲学草稿』こそ、マルクス主義の確立を成した重要な著書であると考えている。マルクスエコロジー主義者に仕立て上げる、斎藤のいわゆる「疎外」論について批判をしてゆく。 私の批判対象は、「第一部 経済学批判とエコロジー」のなかの、「第一章 労働の疎外から自然の疎外へ」とする。 斎藤の主張は、以下のような3点にまとめることができる。

(1)マルクス疎外論そのものの斎藤の理解について。しかし、それはマルクスの「疎外された労働」の破壊でしかない。

(2)アルチェセール、廣松ら、とヒューマニスト・マルクーゼなどの主張を検討しつつマルクス疎外論には「アポリア」(解決つかない難問)などないのだ、と主張する。さらに、彼ら先行研究の「哲学的解釈」が無視してきた「疎外」概念を用いて、マルクスは「土地の完全な商品化」が「疎外された労働の形成にとって決定的なのかが説明されている」と捉え、マルクスは「資本主義の疎外を人間と大地との本源的統一の解体と把握した」、と独自の解釈を展開している。

(3)斎藤は、マルクスが「疎外された労働」の分析から掴み取った「人間主義自然主義」という「理念」を人間と自然の「本源的統一」とを一面的に解釈し評価する。その上で、この人間と自然の本源的統一という「洞察」は、マルクスは哲学から別れれたあとでも「物質代謝」というカテゴリーとして生かされているという。  こうして斎藤はマルクスの実践的唯物論を破壊する。

 以下、それぞれの批判をしてゆく。

(1)マルクス疎外論そのものの斎藤の理解について ――マルクスの「疎外された労働」の破壊  

 冒頭に、マルクーゼらヒューマニストアルチュセール、廣松らの主張を外観し、ヒューマニスト的解釈は「『疎外された労働』を絶対化」し、「『ドイデ』以降の哲学批判の立場を理解」できない、アルチュセールや廣松は「断絶を強調しすぎるため『パリ・ノート』が持つ批判能力を過小評価」する、と斎藤は批判し、「1844年の疎外論のうちには『資本論』まで続く、人間と自然の「分離」というテーマが見出される」と主張する。

 その上で、斎藤は①「労働生産物の疎外」、②「労働の疎外」、③「類存在からの疎外」、④「他者からの疎外」と平板的にその要約をまとめ、さらに続ける。 「要するに、マルクス疎外論が問題視しているのは、労働が自己実現や自己確証のための自由な活動ではなく、窮乏化、労苦、人間性剥離、アトム化を引き起こす活動に貶められている近代の不自由な現実のあり方である。こうした状況に抗して、マルクスは『私的所有のシステム』の廃棄による労働疎外の克服を掲げ、人々が他者とのアソシエーションを通じて、自由に外界に関わり労働生産物を通じて自己確証を得る事のできる社会の実現を要求した」、と。

 「マルクス疎外論が問題視している」、と斎藤はいう。そのように言語表現する斎藤の中には生きたマルクスはいない。いや、マルクスの実存、プロレタリアの疎外された実存などとは無縁である。

 マルクスは、一般的に「近代の不自由な現実のあり方」を論じたのではない。プロレタリアの疎外された労働をアウフヘーベンすることは、「労働者の解放だけが問題にされているのではなくして、その労働者の開放のなかには普遍的な人間開放が含まれているからなのである」という、マルクスを斎藤は何もに理解してはいない。「私的所有のシステム」とは、資本主義そのものではないのか? しかも、いったい誰の「労働が自己実現や自己確証のための自由な活動」ではなくなっているのか? そのようなことを、斎藤は考えていないのである。労働力商品にまで疎外された賃労働者は、いかにして己の疎外された実存を自覚するのか? 斎藤にとってはそのようなことは埒外なのである。実際マルクスをエコロジストにすることからしか、マルクスの労働の疎外を扱っていないのである。

 わたしたちは、マルクスの実存に身を移し入れ考える。

 マルクスの眼前には、「ぼろをまとい飢え死にしかけた、放擲され教育を受けていない子どもたち」が「夜中の2時、3時、4時にたたき起こされ」「夜10時、11時、12時までただ露命をつなぐため無理やり働かされる」「彼らの手足はやせ細り、体躯は縮み、顔の表情は鈍磨し、その人格は全く石のような無感覚の中で硬直し、見るも無残な様相を呈している……」。「彼らはその劣悪な労働条件ゆえに、肺炎、肺結核、気管支炎、肝臓腎臓障害、リューマチなどに羅漢し、年若くして苦痛に満ちた人生を終えている」「彼らは普通の人間であって、……彼らの労働力が用をなさなくなる。知覚麻痺が彼らをおそう。彼らの頭は考えることをやめ、彼らの目は見ることをやめる」というプロレタリアの疎外された労働の現実があるのだ。「もしダンテがこうした工場を見たとすれば、彼のえがいた残酷きわまる地獄の様もこれには及ばないことを見出したであろう」(『資本論』第一巻、第八章「労働日」)。

 マルクスの眼前にある現実は、「日々充実した無から絶対無へとつき落とされる」(『経済学=哲学草稿』)プロレタリアの疎外である。このような現実である。

 そしてマルクスは言う。「国民経済は、労働者(労働)と生産とのあいだの直接的関係を考察しないことによって、労働の本質における疎外を隠蔽している」と。このようにマルクスは、場所的立場に立ち、疎外された労働の本質を明らかにし、「私有財産にたいする疎外された労働の関係から、さらに結果として生じてくるのは、私的所有等等からの、隷属状態からの、社会の開放は、労働者の解放という政治的な形態で表明される」。だがそれは、「労働者の解放だけが問題にされているのではなくして、その労働者の開放のなかには普遍的な人間開放が含まれているからなのである」(『経済学=哲学草稿』「疎外された労働」)と明らかにしている。

 このようなマルクスの実存に我が身を移し入れ、マルクスとともに疎外された労働を、分析するということが重要なのだ。そのように考えるならば、「労賃」「資本の利潤」「地代」の検討を行い、「国民経済学上の、現に存在する事実から出発」しその背後に潜む「本質」を明らかにする、と宣言しているマルクスにおいては、疎外された労働の分析には私有財産の存在が前提となっていることがすぐにわかる。

 「労賃は疎外された労働の結果であり、疎外された労働は私的所有の原因である」というマルクスの叙述こそは、疎外された労働こそが私有財産の本質をなす、と論理的に受け止めることができる。この疎外された労働は、一体如何なる物質的構造をなすのか、ということをマルクスは場所的に分析したのだ、と主体的に捉えることをわたしたちの出発点としなければならない。

 マルクスの叙述を、斎藤がとらえた①~④に沿ってまとめると、①「労働生産物の疎外」、②「労働の疎外」、再び①′「労働生産物の疎外」、③「類存在からの疎外」、④「他者からの疎外」という叙述になっていることに気がつく。

 なぜそうなっているのか?

 決して、疎外と止揚の「円環構造」に陥っているわけではないのである。マルクスの認識過程を再現しながらまとめる。 ① の論述は、生産物と労働者との物質的対立として、マルクスにとっての認識の端緒で ある。この生産物と生産者・労働者との物質的対立の根拠として、労働者の労働そのものの疎外②が論じられている。 ①′は、この労働の疎外の結果として、①がとらえかえされ、生産者と労働者とかれらがうみだした生産物との対立を「生産物からの疎外」と規定した。これは、①を②から存在論的にとらえかえした叙述なのである。そして③、④は生産物からの人間の疎外から必然的にもたらされる諸結果の現実論的究明である、とらえかえし得る。

 かかるマルクスの叙述は疎外に関する現実論である。他方においてマルクスは、人間主体がもっている精神的な物理的な能力、生命力、本質力、種属能力を外化する、対象化する、発現するという意味において「疎外」というカテゴリーを使っている。このような意味での「労働疎外」によって生産物がつくりだされ、人間主体に対し物質的に対立するのである。この生産物を消費しようが、使用しようが、物質世界そのものは依然として客観的に存在する。これは疎外の本質論として捉え返すことができる。  

 さて、斎藤はこのようにマルクス疎外論を、労働論として、その本質論と資本制現実論として主体的・立体的につかみとることはできないし、しようとはしない。だからこそ彼は、「マルクス疎外論が問題視」などと人ごとのように語れるのである。彼は、自分が疎外されている、などとは露程も考えていないのだ。

 エコロジー主義の色眼鏡からマルクスを解釈し、マルクスの著書から都合の良い箇所を抜き書きしているだけなのである。

 現代に生きるプロレタリアは、「不自由や窮乏化や労苦」を実感してはいる。しかし、それが何によってもたらされているかの自覚はないのである。

 わたしたちは、21世紀現代におけるプロレタリアの階級的自覚の獲得の過程、いわゆる即自的プロレタリアから、自覚的=向自的プロレタリアへの脱皮の過程において、同時に若きマルクスの思想形成の歴史過程を場所的に再生産するかたちで、若きマルクスの探求を主体化してゆかねばならないのだ。  

(2)マルクスは「資本主義の疎外を人間と大地との本源的統一の解体と把握した」?  斎藤は、『経済学=哲学草稿』の第一草稿前半部分を封建制のもとでの農奴の開放を自由、平等になった近代の賃労働者が「大地から喪失」され、「自然から疎外」された事態として描きだしている。このことを指して、斎藤は廣松やアルチュセールやマルクーゼらがマルクスの意図を捉え損なっており、「疎外論アポリア」は存在しないのだ、という。

(イ)エコロジストの解釈主義 

 しかし、マルクスをエコロジストにするために、廣松、アルチュセールヒューマニストらを検討する意味がどこにあるのであろうか? 廣松は当初、疎外をヘーゲル的な「自己疎外」とみなしていたし、後には「屈折」とみなしてもいた。アルチュセールは、「疎外」「否定」は哲学的概念でイデオロギーであるが故に「マルクス主義のなかから追放されなければならない」と言っている。彼らは、当然にも『経済学=哲学草稿』の意義を否定する。さらに若きマルクスを「過大評価」するマルクーゼら、ヒューマニストと呼ばれる人たちは、人間を実体化し人間学的解釈をしている。

 また彼らは、ヘーゲルにおける「疎外」と、フォイエルバッハにおける「疎外」と、マルクスにおける「疎外」とはそれぞれ異なった構造をもっていることの無理解から「疎外」というカテゴリーを同一視している、ということも指摘しておくことが重要だ。

 このようなマルクス疎外論を退ける廣松やアルチュセールらは、斎藤のように、確かにエコロジーの色眼鏡で『経済学=哲学草稿』を読んではいないのである。彼らの主観的意図はスターリン主義哲学をのりこえようとしたものなのである。だからこそ私たちは、彼らと対決し、批判してきたのである。

 しかし、若きマルクスと主体的に対決する拠点も、方法的武器もない彼らの「思想」においては、彼らと斎藤も同じだということだ。斎藤もまた、マルクス主義の「主体的把握」を行うことから完全に無縁なのである。斎藤もまた、マルクスの著作と対決し己のものとすることをしてないのである。ただ、資本主義は「人間と大地との本源的統一の解体した」という、自己のテーゼから『経済学=哲学草稿』を解釈しているという違いがあるだけなのだ。

(ロ)存在しない「疎外論アポリア」とは?

 斎藤は、マルクーゼもアルチュセールも廣松もらの「先行研究」の限界を指摘している。私有財産と疎外された労働とのつかみかたは堂々巡りであり、循環論法であり、空論的な分析にとどまっている、というマルクス「疎外された労働」への批判を鵜呑みにしている。

 確かに、彼らの解釈においては「アポリア」は存在する。斎藤は、その根拠を「「第一草稿」後半部分だけしか考慮してこなかった」ためだ、と批判するが、「先行研究」の研究者の哲学、思考法などにまで踏み込んで省察できないのだ。

 斎藤は、『経済学=哲学草稿』を「私的所有が生産者とその客観的な生産条件の本源的統一の解体から生じるという論旨」から解釈する限り、その限りにおいて、「疎外論アポリア」を生じないというのであろう。このことを「自然からの疎外」だ、と一大発見であるかのように押し出すわけだ。

 そして斎藤は、「第一草稿」前半部分を独自に解釈する。

 『経済学=哲学草稿』における、封建制から自由になった農奴の出現や、土地の売買がなされていることをあげつらい、資本制生産関係の成立に関するものと読める叙述を、マルクスが書いた「和気あいあいとした外見」という言葉に斎藤が着目し、マルクスは「封建制生産様式における労働の肯定的要素を見出して」いる、と解釈する。その上で、「人間と大地との本源的統一の解体」が問題である、とマルクスは主張していると歪曲するのである。

 マルクスは、私有財産の本質が疎外された労働であることを認識し、この疎外された労働の場所的分析をおこなった。こうしてマルクスは、プロレタリアの疎外された労働をアウフヘーベンするために、私有財産アウフヘーベンしなればならないことを自覚したのである。それに踏まえマルクスは、「私有財産共産主義」という論文を執筆している。このように捉える私たちには、そもそも「アポリア」などはない。

 さらに斎藤は根本的な誤謬を犯している。

 外観はあくまで外観でしかないのだ。実態ではない。ましてや斎藤は、『経済学=哲学草稿』から「和気あいあいとした側面」と引用しているのに、1858年の『経済学批判 原初稿』において、マルクスが「外観」とうことばを使っていることに無頓着なのである。 マルクスの「疎外された労働」を主体的に把握すれば、農奴制において、奴隷制においても「疎外」の基本構造は何ら変わらないということが直ちにわかるのである。それぞれ農奴の、奴隷の疎外された労働によって社会が成立していたのでる。※斎藤のいわゆる「疎外論」の批判が私のテーマなので『資本論』第1部第7編第24章「根源的蓄積過程」の〈否定の否定〉についての斎藤の主張への批判は略す。

 私は次のように言わなければならない。

 封建制から自由になった農奴の出現や、土地の売買がなされているという資本制生産関係の成立に関するものと読める叙述は、「資本の史的創世記」として、正しく理解すべきである。生産手段の資本への根源的な転化、直接的生産者からの生産手段の暴力的収奪は、同時に無一物たるプロレタリアの大量な創出=労働力商品の創出となった。「賃労働(労働力商品)なしには剰余価値の生産はありえず、したがって資本と資本家は存在しない」、「賃労働者はそれゆえ、資本形成の必然的な条件であり、資本生産の不変の必然的な前提である」(『直接的生産過程の諸結果』)という賃労働と資本の矛盾的自己同一という事態が成立したのだ、と。

 斎藤のように、「人間と自然との亀裂」というようにエコロジー主義的に解釈することは間違いなのである。

(3)マルクスにおいて「疎外された労働」の分析からつかみとった「人間主義自然主義」という「理念」を、哲学から別れたあとでも「物質代謝」として生かされている、と斎藤はいう。「理念」は捨てたが、「洞察」は堅持している、というのである。「理念」は哲学であり「洞察」は科学であるとでも言うのであろう。

(イ)マルクスの理念のエコロジー的解釈 斎藤は、「『ドイツ・イデオロギー』において、マルクスは哲学的『理念』を疎外された現実に対置するという方法の不十分性を認識するようになる。その結果として、哲学に別れを告げることで、マルクスは人間と自然の関係を「物質代謝」という生理学的概念を用いて分析するように」なった、というのである。あるいは、「科学的分析の核心」への追及へと向かった、という。 

 他方において、「人間と自然の統一という1844年の洞察を『資本論』にいたるまで堅持していた」、というのである。

 捨てたもの=「理念」=「人間主義自然主義」、堅持したもの=「洞察」=「和気あいあいとした側面」という「人間と自然の統一」という具合に切り盛りしただけなのであるが。

 それにもかかわらず、斎藤は、単なる切り盛りを、『ドイツ・イデオロギー』でのマルクスのフォエルバッハへの批判を紹介し、精神や自己意識という「転倒した主体に対して、現実的な真なる主体(感性的人間)を認識論的に対置していた。その限りで、マルクスヘーゲル左派の内部で思考していた」とし、「哲学内部での真なる原理の『対置』というアプローチそのものを退け」たなどと、アルチュセールらに依拠して粉飾している。

 斎藤は「マルクス主義者」ではないので、イデオロギー論主義とか、基底体制還元主義とかの批判は当たらないかもしれない。だが、斎藤においては、平板な思考法で、且つAかBかという単なる形式的な思考法が問題なのである。〈科学か・哲学か〉、〈自然の疎外か・人間の疎外か〉〈ヘーゲルをのり超えたか・ヘーゲル左派か〉、〈過大評価か、過小評価か〉と。さらにその二者の中から〈共通性〉を見出すという属人的な思考法で、切り盛りしているのである。それではイデオロギーの発展、継承ということが、全く捉えられないことになる。

 斎藤は、マルクスフォイエルバッハの宗教的疎外論などを批判的に摂取しつつ、いかにしてマルクス独自の「疎外された労働」論をうちたてたのかという内的構造には全く無関心なのである。いや、わからないのである。

 若きマルクスは、政治哲学的なアプローチにおいて、政治的国家と市民社会の分裂を粉砕し人間の人間的解放とプロレタリアの普遍的解放への永続的な実現を目指すことを、その解放の主体はプロレタリアートであることを明らかにしていた。さらには注目すべきは、マルクスは私人と公人の分裂の問題をも突き出している(『資本論』においてマルクスは価値形態論の叙述の中で「自然的形態としての人間」と「社会的形態としての人間」の自己分裂の問題をも明らかにしている)。これは、政治的国家と市民社会の分裂を物質的基礎にした意識内部における疎外も問題にしなければならないことをマルクスは提起しているのだ、と捉え返すことができる。

 そして、マルクスはさらに進んで、リカード、スミスらの経済学との対決を、経済学=哲学的なアプローチで下降(「学問的な理論的な地平から現実問題へ密着した」「具体化された分析」・黒田)していった。

 こうして、マルクスは、商品人間(労働力商品)の、賃労働者の疎外された労働の場所的分析をおこなったのである。さらに同時にマルクスは、賃労働者の疎外された労働の根底に、疎外されざる共同体におけるその実体としての労働者の労働の本質形態の分析もおこなったのだ。種族存在としての人間のありかたと共同社会にかんするマルクス独自のイデーを獲得したのである。このようなマルクスは、「疎外された労働」論にふまえつつ「私有財産共産主義」という手稿を書いている。そこにおいて、マルクスは「私有財産の普遍化と完成」を試みたり、政治的に疎外された実体をアウフヘーベンしても、人間労働の疎外が残っている限り真実の共産主義ではないと論じ、最後に、「社会は、人間と自然の完成された本質的統一であり、自然の真の復活であり、人間の貫徹された自然主義であり、また自然の貫徹された人間主義である」、と論じているのだ。  このマルクスの叙述で重要なことは、彼が人間というとき、その社会性までも捨象していないということである。そんなことを言っても斎藤にはなんのことかわからないであろうが。無規定の、抽象的な「人間」と解釈する斎藤とは無縁なのである。

 マルクスの主張は「人間と自然との、人間と人間との諸対立をアウフヘーベンした」疎外されざる共同体的人間の、Gattngswezen(種属存在)として社会を実現していかなければならない、ということである。

 このマルクスが明らかにした「人間主義自然主義」は、フォイエルバッハ、モーゼス・ヘスなどと全く異なるかたちでつかみとられたものなのだ。 「1843年から44年にかけて若きマルクスが獲得したこの共産主義イデー、それを帰結する基礎、前提をなしたプロレタリアの自己疎外論あるいは『疎外された労働』論は、終始一貫してマルクスの理論と実践につらぬかれていたものとして、われわれはとらえなければならない」(同志黒田)ばかりではなく、現に今、私たちのイデーとして蘇らせなければならない。

(ロ)マルクスは、哲学を捨てた?

 マルクスは哲学を捨てた、と斎藤は軽やかに言ってのける。自分のエコロジー主義の色眼鏡でマルクスの諸著作を読み、抜き書きと解釈を行っているだけなのだ。若きマルクスを殺すことがマルクスを蘇らせることだ、と思い込んでいるアルチュセールを彷彿させるではないか。斎藤は、マルクスは哲学を捨ててエコロジストになった、というのだ。

 しかし、マルクスは、既に『ヘーゲル法哲学批判序説』において哲学とプロレタリアートの相互媒介止揚の論理を述べている。〈頭脳たる哲学がプロレタリアにおいて変革の理論として止揚され、心臓たるプロレタリアは哲学を精神的武器として革命的プロレタリアと己を止揚する〉という変革の哲学を明らかにしているのである。そして、さらにマルクスは、『経済学=哲学草稿』第三草稿の「ヘーゲル弁証法ならび哲学一般の批判」を書いている。マルクスは「疎外された労働」および「ヘーゲル弁証法ならび哲学一般の批判」をつうじて、翌年1845年に書かれた『フォイエルバッハテーゼ』の一番目に「対象・現実・感性を直感の形式でとらえてはならない、それを活動の形式において感性的活動としてとらえなければならない」、と実践的唯物論として定式化したのである。 「哲学ならぬ哲学」としての実践的唯物論を確立したのである。

 2021.05.30 藤川一久