【9】斎藤のいわゆる「疎外」論——「マルクスへ帰れ!」4

4 マルクス主義の破壊を許すな  

 マルクスは、この『経済学=哲学草稿』において、従来の「哲学」を止揚し「哲学ならぬ哲学」としての変革の哲学を、実践的唯物論を確立したのである。  マルクスは、「疎外された労働」や「ヘーゲル弁証法ならび哲学一般の批判」において、ヘーゲルにおける疎外あるいは外化とそのアウフヘーベンの論理を唯物論的に改作したのである。ヘーゲルの観念的弁証法を、労働の論理、創造の論理として明らかにしたのである。主体=種属生活を営む人間的自然が客体=自然的自然を変革し主体化する、と。こうして「疎外」そのものが労働の本質であることを明らかにしつつ、資本制社会における「疎外された労働」を明らかにしたのである。 

 このように、マルクスは、「疎外された労働」の場所的分析をおこない、その根底にある労働の本質を明らかにしたこと、さらに「ヘーゲル弁証法ならび哲学一般の批判」を唯物論的に改作を行ったのだ。

  ということは、直接には、主・客の交互媒介の論理として、ヘーゲル弁証法の過程的、量的性格をひっくり返したのであるが、そのことを通じてマルクスは、物質の過程、自然史の過程の論理として統一的に、「場所的=過程的」弁証法を、実践的唯物論を明らかにしたのだ、というように私たちは捉え返すことができるのである。 繰り返し言う。

 マルクスが自ら獲得した「人間の自己疎外を止揚によって実現されるべき疎外されない人間、つまり種属存在としての人間による生産的労働による本質論、あるいは共産主義的人間論」(黒田)は、彼のイデーとして、あらゆる実践に終始一貫して貫かれているものなのである。同時に、マルクスの哲学ならぬ哲学としての実践的唯物論を確立したものとして、わたしたちは『経済学=哲学草稿』を捉えるべきなのだ。  わたしたちは、斎藤によるマルクス主義エコロジー的改竄=破壊を断じて許してはならない。  さらに、プロレタリア世界革命を放棄し、黒田教集団と化した、無様な「革マル派」をのりこえ、黒田の生けるものを受け継ぎ前進してゆこうとしているわたしたちは、あらためていう。 「スターリン哲学体系が誤謬の体系として組み立てられている以上、それを部分的にほじくって批判しただけでは、ほとんど問題にならない。誤謬の体系は根底からひっくり返さされなければならない。と同時に、この破壊は、真のマルクス主義哲学体系を創造する努力と結合されなければならない。」と書き記した、今は亡き同志黒田の著書『現代唯物論の探求』第2部「スターリン哲学批判」(未完――1956年8―9月)末尾の言葉を。

マルクスへ帰れ!」  

                                                                                   2021.05.30 藤川一久