気候変動について(4) 二酸化炭素地球温暖化説を利用した人間

二酸化炭素地球温暖化説を利用した人間

 アメリカの原発・核開発を推進する権力者の利害を体現して、二酸化炭素地球温暖化説を活用したワインバーグについては「気候変動について(1)」ついて述べた。 一方で気温変化の「ホッケースティック」(2001年)デッチ上げながら、第二回IPCC報告書から二酸化炭素温暖化に対する否定的、懐疑的な文章を科学者の査読後に削除し、査読者に知らせず二酸化炭素が原因であるという文章を挿入した。こうして懐疑的、否定的な気候学者への政治的死を宣告した。IPCCを二酸化炭素地球温暖化の公式の国際的な旗振り役と仕上げたのは、気候変動ユニット(CRU)らに巣食うマンらである。

 この出発点は、サッチャー二酸化炭素地球温暖化説の政治的活用である。 これは、あまり知られていないが重要である。 原子力発電計画を英国民から反対されていたサッチャーは、1970年代に炭鉱労働者のストによって保守政権を崩壊させたこの力を破壊し、二酸化炭素を排出しない原子力発電を推進するために、「二酸化炭素地球温暖化」説を利用した。 「お金は用意してある。これを証明してほしい」と英国王立協会で演説し、英国気象庁に気候モデル部門を設立したのである。

 IPCC設立の翌年の1989年国連総会で「(気候変動の)証拠はある。(略)前を見なければならない。大規模な国際協力のみがこの問題に成功裏に対処する道である」、1992年までに条約を批准すべきだ、とサッチャーは主張した。

歴史的にふりかえる。

1970年代 サッチャー英国気象庁に気候モデル部門を設立

1977年 ワインバーグ、エネルギー開発庁そしてエネルギー省(DOE)に二酸化炭素地球温暖化の公的研究機関をたちあげる

1982年 アメリカDOEがイギリス、イーストアングリア大学気候研究ユニット(CRU)に12万ドルを提供

1988年 IPCC設立 

1989年 サッチャー国連演説

1990年 IPCC一次報告 気候学者の多くが人為的二酸化炭素地球温暖化を否定

1992年 持続可能な地球をと銘打って国連「地球サミット」開催 180か国が参加  「リオデジャネイロ宣言」  「アジェンダ21」「森林原則声明」「気候変動枠組条約」「生物多様性条約」などが合意

1995年二次報告 上記報告書改ざんのほかに選択肢として原発も掲げる

1997年 「地球温暖化防止京都会議」――「京都議定書」決議

2001年 三次報告,ホッケースティック    

 完全に人為的二酸化炭素地球温暖化が、国際世論になる。 欧州エネルギー危機と原発ルネッサンス

2002年 5月フィンランド原発増設

2005年 アメリブッシュ政権、GNEPを打ち出す。

2009年11月 「クライメートゲート事件」発覚

 気候変動における二酸化炭素地球温暖化説はアメリカ国内における、原発産業と石炭産業、民主党共和党の政治的利害に利用されてきた。科学(者)が経済界、政党の利害に活用されてきたことも見逃してはならない。 2020.1.13