黒田寛一の哲学をわがものに その2の1

黒田寛一の哲学をわがものに その2

Ⅰ 黒田の哲学について

 私の著した「黒田寛一の哲学をわがものに」(2020年11月18日)は、1991年ころ以降、再び黒田の哲学をわがものとするべく、異常な党派的緊張関係のなかで組織活動と長時間の疎外労働にほとんどの時間がとられる中でコツコツと学習したこと、哲学してきたことをまとめたものである。当時常任同志であったHに「1950年前後の日本の階級闘争について、黒田はいかなることを述べていたのか?」と質問したことがあった。しかし、彼に「そんなことは考えなくてよい」といわれたのだが、私の反省課題からそれているので、不満を残しながらもそのままにしていた。

 『戦後主体性論ノート』(1990年発刊)を読みはじめたのは2000年に入ってからだが、そこにも1950年ころの「歴史的現実」は書かれていない。その当時黒田は、どのような思いでいたのであろうか? 少なくとも《場の自覚》を出発点とすることを意識的に貫くのであるならば、発刊に際し1950年当時を素描であれ残しておくべきだ、という思いに私はかられる。中華人民共和国の成立、核兵器開発競争、朝鮮戦争を前にした日本の階級闘争や「コミンフォルム論評」などなどの「歴史的現実」が『実践と場所』において触れられているのだろうか? 「日本主義」といわれている箇所や、戦前の記憶を述べている箇所があるようだが……。

 私は、反スターリン主義革命的共産主義者たらんとするものとして、『実践と場所』と格闘してゆこうと決意している。そのためにはこれまでのように、黒田の哲学にかんする著書を一つひとつ読んで、学び、主体化する作業が不可欠だと思う。

 『実践と場所』第一巻「Ⅰ実践の場所 A場所の現在性 4生死の場所」では、黒田自身が歴史的社会的な日本社会という《場所》に深く内在し、そうすることによって、その場所から規定されつつ相対的に独立した社会的意識を黒田自身において再生産し、その「歴史的現実」を逆規定し自己超越する「精神作用」を明らかにしようとしているのだろうか? 彼はいう——「人間意識内における限りのない精神の否定的運動を否定することはできない」、と。これは、「歴史的社会的な被規定性を、場所的被限定性を向自化=自覚化し、そしてこの自覚を即自的前提とすることにより実践=認識主体の能動性・自己否定性が現実化されうる」という彼の考えを、さらに一歩深めようとしているからではないだろうか。われわれの革命実践や学問的研究のための「即自的な前提」をなす《場の自覚》を、『実践と場所』において貫いているのであろうと思う。しかし、以上述べたことは、私が『実践と場所』全三巻のうちの一部しか読んでいないので、直観的かつ不確かな感想にとどまるしかない。

 

 「黒田寛一の哲学をわがものに」は、2020年までの私における「黒田哲学」を対象化したものである。その後も少しずつであるが、黒田の著書を読み考えてきた。まずは、それについて少し書いてみようと思う。

 

「死んで生きる」ということについて

 このことば——「死んで生きる」ということばを黒田が言った、つまりそのような言語表現を行った、ということを、私は聞いていない。『平和の創造とは何か』のP83において、Vに「……ハンガリー事件に直面して、彼は死んだのだ」「ハンガリー労働者の魂が彼にのりうつったのだ。こうして、彼は蘇った、死んで生きたのだ、うむ、彼は死んで生きたのだなあ。」と語らせている。さらに、阿蘇平八は「1956年——《生死の場所》」において「〈生ける屍〉の生き方」について『実践と場所』第一巻の「生死の場所」の一部をとりあげ論じている。かれは、『平和の創造とは何か』におけるVのように、黒田がハンガリー事件において共産主義者の主体性を貫徹したことに限定して論じている。さらに彼は、「決意は沸きあがらせるいがいにない——苦悩のどんづまりにおいては結局のところ、このようなものであろう。何の理由もてがかりも見いだせない〈どん底〉における苦悩、決意する以外に、これを突き破ることはできないそれ、「堂々めぐりの思索」とはそのようなものをさすのであろう。」と、黒田の強靭な精神活動に光を当てている。そこから私が受けとめることができるのは、この『実践と場所』第一巻の「4 生死の場所」は「5 実践的立場」へと続くものとして《場の自覚》についてわれわれの革命実践や学問的研究のための「即自的な前提」をなす「実践的立場」を確立すべきものを解明しているのだと思う。われわれは有限な物質的人間存在であるが、われわれが自己の有限性を自覚しつつ行為的現在の場所において歴史を創造する主体となるにはいかにして可能であるのか。まさにそれを、黒田が主体的に明らかにすることをめざしたものとしてわれわれは受けとめなければならないのではないだろうか。「何の理由もてがかりも見いだせない〈どん底〉における苦悩、決意する以外に、これを突き破ることはできないそれ、「堂々めぐりの思索」」——これこそは、黒田自身が、彼自身の歴史的に規定された「絶望の意識」——その意識の底に開く超次元的な無限の時空間的世界の、形而上の世界の限りない否定運動を知覚し、それを絶対的超越者へ自己疎外し拝跪することなく、いかにして歴史の創造主体たりうるのか、と思索していることを言語表現したのだ、と私は思う。なんと強靭な精神力であろうか。

 生きるということは、「絶望」「どん底」からはいあがり、何になるかということである。つまり、「死んで生きる」ということは歴史創造主体たらんとする黒田そのものである、ということなのではないか。

                           つづく