黒田寛一の哲学をわがものに その2の4

 他方において、田辺元の批判を受けた西田もまた、「場所」における歴史行為について深めたのであろう。いわゆる「西田哲学における行為・制作の論」(黒田)に示されているように。

 哲学することは、「ことばに担わされた概念」を用いて展開するほかはない。規定しようにも規定できないものを規定してしまうところに、西田の特色がある。それが彼の思索の最大の特徴である。それはたとえば「未だ主もなく客もない、知識と其対象とが全く同一で居る」「此の色、此音はなんであるという判断が加はらない前を言うのである」、と西田は「純粋経験」を説明している。そして、この「純粋経験」を事実や実在というものが与えられる最も直接的な「場所」であり、知というものの成り立つ最も直接的な「場所」であるとも考えている。

 また、この「純粋経験」なるものは、合目的的な宇宙全体の統一的活動と一つであり神とも同一であるとしている。「未だ主もなく客もなく、色もなく形もない純粋経験」とは、反省的思惟を自己否定面として含みどこまでも発展する体系的全体である、とも考えられている。それ故に「一般者」「場所」という規定へと転形されてゆく。

 たとえば、西田は、以下のように「意識の野(の)」における意識の活動を明らかにしてゆく。

 「我々が物事を考へる時、之を映す如き場所といふ如きのものがなければならぬ。先ず意識の野といふのをそれと考へることができる。何物かを意識するには、意識の野に映さねばならぬ。而して映された意識現象と映す意識の野とは区別せられなければならぬ。」(『西田幾太郎全集 第四巻』「働くものから見るものへ」P216)

 このことは、認識=思惟しつつある西田自身の意識を西田が観ているということであろう。そして西田が、その状態にあった己、特に思惟しつつあった自己の意識を、つまり、「純粋経験」にある自己が「思惟」したことがらを事後的にことば、概念で表現しているのである。「働くものから見るものへ」の時点では、「意識の野」は創造の「場所」として観念されることになる。

 たしかに「意識の野」そのものにおける「否定の否定」の運動(唯物論における認識=思惟作用にあたるもの)はわれわれも自覚し、意識化できる。それを対象化することもできる。しかし、「「意識野」そのものにおける「否定の否定」の運動を、西田は対象的=感性的世界における「歴史創造行為」の存在論にスライド」(黒田)させてしまうのである。「「意識野」にかかわることが同時に「歴史的世界としての場所」における「身体的行為」でもある」(黒田)としてしまうのである。〈意識を見る自己〉が唯物論的に確立できていないといってしまえば簡単なのであるが、問題は次の点にある。

 マルクスの「実践」が感性的活動であると西田は確認してはいる。しかし、西田は歴史を創造するポイエシス(制作的行為)は、これが物質的・感性的なものであるという直接性においては「ノエマ(意識作用が働きかける対象)」の側に位置づけられる。つまり、われわれのいう「実践」は意識における客観として、歴史創造も芸術作品の制作も同じポイエシスとして考えられている。さらには、これらが「弁証法的一般者」を映し表現するもの、と解釈され「意識の野のノエシス(意識の作用的側面)」をあらわすものとされている。

 こうして、場所的世界のポイエシス行為そのものと「意識の野におけるノエシスノエマ」とは違う、知覚世界において現前化したもの(表象=観念)とこの現前化を呼び起こした当のものは異なるのだが、(黒田は「位相」が異なるといっている)「現実相」として分化しないままに存在の次元において駆使される。なぜなら、西田においては、現実の場所においてある身体的自己の行為は、事実や実在として与えられる(意識における)「場所」=「現実相」と観念されているのだから。

 こうして西田は「場所においてある身体的自己の行為」を、意識内におけるノエマによって「弁証法的一般者」の表現の世界の表現行為として意味づけることになる。それゆえに、西田のいう「場所」が実際の歴史行為の現実の「場所」ではなく、もっぱら‶心のよりどころ〟を求める、学徒出陣を前にした若き学生の心に響いたのである。   

「悠久の歴史に死んで生きる」ことを説教した田辺よりも、現世からの衆生済度するものとして、多くの学生に影響を与えたといわれる所以である。

 

 私が、「絶対随順の論理」と規定した西田幾多郎の哲学。この西田幾多郎の「場所の哲学」が「一切に対する諦観」を帰結するととらえたのが田辺元である。この田辺元の「種の論理」に対して、「田辺から学ぶものがない」と切って捨てるわけにはいかないのだ。また、それは梯による「絶対有」の哲学——「絶対有」としての物質の自発自転的な自己運動過程、この自然史過程の存在論のなかに「実践的直観の契機」を探しつづけてきた梯からのみ「場所の論理」を受けつごうとするのは、片手落ちになるのである。

 梯においては、対象(客体)に対立する主観としての現実の人間意識は、ただ「絶対的な物質」を自己運動させるための一契機として、その限りで措定されているだけであり、「対象的実在の自己運動」を絶対に有ならしめるための「無」としてのみ問題にされるだけなのである。それは「絶対有としての主体的物質」が人間意識をも自己の契機として包摂した、とすることでもある。この「主体的物質」といえども「絶対有」として絶対化され実体化されており、人間実存の問題は位置づかない、といわれる所以である。

 黒田は言っている。「われわれの常套用語を用いて表現するならば、場所的=実践的立場が欠落しているがゆえに、具体的普遍性からの天下り的な解釈学的な展開に西田がおちいってることを、田辺が 指摘している、というように解釈することが可能だと。

 重ねて言うが、歴史的現実の中に「歴史的使命を自我の根底に移しいれているか否かの問題」という己自身の「革命的自覚」の問題であるということである。「マルクス主義者といえども、西田・田辺哲学から何がしか学びとるゆえん」とは、黒田が、梯・梅本が西田・田辺哲学から何を学び批判してきたのかを掴んだのか、その苦闘、精神的営為を我々もまた追体験するということだ、と思う。

                  終わり

                     2023.04.08  藤川一久