反スタ運動創造の出発点を理解できない「革マル派」官僚!!   藤川一久

『物質の弁証法』(黒田寛一著作集 第一巻)の「刊行委員会」は、「プロレタリア解放のために全生涯を捧げた黒田寛一」なる小論文において、「黒田寛一は、……ハンガリー事件」にたいして「『共産主義者の生死にかかわる問題』として対決した」と書いている。また、全く別のところでは、「……こうした営為を主体的根拠として」とのみ結果的に言うだけである。

 しかし、同志黒田は、「ほかならぬブタペスト労働者の武装蜂起というこの決定的な事態と真っ向からとりくみ、いわゆる〝ハンガリアの悲劇〟を共産主義者としてのおのれ自身の問題として主体的にうけとめ対決する――、まさにこの歴史的瞬間において、戦後主体性論の核心的なものが、反スターリニズムの闘いへのバネへ転化された」「……それが共産主義者としての主体性であり革命的マルクス主義の立場にほかならない」と書いている。

 同志黒田の思想・哲学そのものを公然と破壊した彼らは、「まさにこの歴史的瞬間において、戦後主体性論の核心的なものが、反スターリニズムの闘いへのバネへ転化された」、という同志黒田の「断絶と飛躍」を哲学することをしないのだ。

 さらに、この小論文では、次のことが欠落している。

 「この転換は、多面では同時に、スターリンとその徒党と敵対してきた左翼反対派の理論および実践を批判的に継承しながらわれわれ自身の革命論を、ソ連論を、さらに経済学を創造するという理論的格闘にも【媒介】されることなしには実現されえなかったのである。」(傍点〈このブログ上では【媒介】にしました〉部分は、同志黒田自身が付したものである。)

 彼ら、「革マル派」官僚には同志黒田の次の言葉がふさわしい。

 「この革命的マルクス主義の立場の理解、その主体化がなされていないかぎり、日本における反スターリニズム運動の独自性も、その本質も、決してつかみとりえないのである。われわれの運動からの脱落分子がうみだされざるをえなかったということの最深の根拠は、まさにその点にあるわけなのである。」

 上記の同志黒田の引用文は、「革マル派」の人間であるならば、誰でも知っているはずのものである。一度は読んだことのある同志黒田の著書(『革命的マルクス主義とは何か?』《付録》 わが革命的共産主義運動の特質)からのものである。

 「革マル派」は、一刻も早く革命的マルクス主義派の看板を下ろした方がよい。                                  (二〇二〇年一〇月二日 藤川一久)